ミラノの工房より独立して東京で窯を持ち14年目。
今回の個展CLOSING EVENTには、 諸々の理由でサンプル品(私物)として所有している大量の作品の一部をお持ちしました。 失敗作も含まれるそれらの作品は、試作や試色のためにもがいた跡、一部は二度と出ないような色味が出てどうしても手放せなくなった作品など、 どれも大切な思い出が詰まった作品です。
この土鍋は、かれこれ5~6年前になるだろうか。
土鍋の親玉第一号。まだ線に迷いがあるし合わせも甘い。お客さまに出すのは躊躇しましたが、愛する一号をご覧いただけたお客さまは、もう二度とあるかないかの機会だったかもしれません。我が家でいい感じに育っています。
みなさんの土鍋も、汚れたから~と嫌いにならないでください。 もっともっと滋味深い土鍋に育ててみて下さい。
ちなみに我が家で普段使っている私物は、売り物にならないような作品ばかりです。我が家にあそびにくる友だち以外、強いては個展にいらっしゃるお客さまにこれらをお見せすることは作家として絶対にありえないと思っていたのに、話の運びから、急きょ、それらをさらけ出すことになったCLOSING EVENT。ある意味どさくさに紛れてわたしのベールをすべてはぎ取ってくれたみなさまに感謝。危機は好機!気負いから解放され素の自分に戻れ、大切な原動力を思い返すこすことができました。
優秀だから陶芸を続けていられるのでも、優秀と認められイタリアに弟子入りしたのでもありません。実は美大生時代、わたしは工房内で劣等生でした。朝はだらだら遅く行くからロクロは空いてない。 ああそれならばと、学内のどこかでボーっとお茶をしたり、夕方また学校来よう!って飛び出して、レコードがひしめきあう喫茶店とか映画館とか古着屋とかに遊びに行っちゃう。(父母ごめんなさい)
自宅の私物作品は、そんなわたしのような子たちばかり。あの頃のよっしゃーこれからやってみせようじゃないか!みたいな原動力が、自分を見ているようでとても愛おしいのです。
劣等生が卒業するとどうなるか。遊んだ分たくさんの友だちや先輩がいたので、理想の山はいっぱい眺めたし教えてもらいましたが、どうやってもじぶんの足で、ぐだぐだと、ぐるぐると、回り道しながら登るしかありませんでした。その地道さが、足腰を強くさせ今の作品を支えてくれているのかもしれません。でもそれは、決して才能ある人や優秀者のゴンドラ付きの登山道ではありません。
劣等生というか、優秀者でない者の救い。
小さな視点(課題や宿題)はそっちのけでも、
もっと大きな漠然としたところで、気力というか、よせる想いみたいなものがあるかどうか。“いつかあの人に見てもらいたい”と思うこと、その相手をたくさんつくること。これがわたしの「劣等生コクフク持論」。好意を抱く人、嫌悪を抱く人、そこに夢見るような超ハイレベルな「憧れの人」なんて含めたらもっといいです。どんなことができるかは、神のみぞ知るなので目標なんて立ててもナンセンスかもしれません。劣等生以上になっていることが最条件なのでカンタンですが、そのカンタンを地道に磨きこむ。すると、良いものか分からないけど、あらなんか光ってる!?と注目してくれる人がちらほら出てくるみたいです。
ゴンドラに乗っていたら知らなかった美しい光景もあれば、 逆に辛いつまずきや、転んで心に怪我をしたりもしました。 泣いたって誰も気づかないほどうしろの方を歩く心地よさも知りました。 見てもらいたい風景(目標)なんて誰も知るわけありません。 山に登って初めて、山頂からの風景を知るのです。
(あ、このドロミテ山塊はさすがにゴンドラに乗ってしまいました)
今回の個展を終え、来年15周年を迎えるにあたり、さらにすっかり気負いを取り払うことができました。男女年齢を超越し、すてきな人間性やセンスを持つ人たちに出会い、その人たちの共通点であるやさしさの原点にふれました。
云々と長文で思惟を綴ってしまいましたが、すべての長文がキャンセルされる日もあるんじゃないかと思うほど。詰まるところ「劣等生コクフク持論」の原点は、やさしさと言える日が近いとような気がするのです。これからも楽しみです。
心から、ありがとうございました。
COCCIRINO 我妻珠美 (個展を終えて想う)
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