「第2回着想は眠らない」 公募展 参加作品
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公募コンセプト…出品者が同じ額、同じテーマの元創作。(外枠…横25.7cm 縦31.5cm 枠幅1.2cm)
(ギャラリー主旨より抜粋)
参加者が全員同じ額を使って、それぞれの世界を表す展です。メンバーは彫刻家、画家、歌手、詩人、書家、庭師、建築家、陶芸家、イラストレーター、デザイナー、織物師、ガラス家、鉄の造形家、主夫、主婦、学ぶ人など多彩な顔ぶれ53人。 頃は紅葉のシーズンまっただ中。紅葉狩りかたがたぜひご高覧ください。
板絵(磁土)
額(木素材にカルタペスタ)
porcelain plate 愛称:おめんちゃん1号 vol.1
wooden picture frame+newspaper-collage(carta-pesta)
「陶板」 (素材:磁土、顔料)
磁土(磁器)は、陶土(陶器)とは異なり吸収性が低く、岩や石に近い素材。
西洋のマイセンやジノリ、中国・韓国の青磁や白磁がそのカテゴリーに属する。
つるりんとしたテクスチャーとひんやりクールなイメージがあるそれを、
あえて引っ掻き汚し、ざらざらでほてりの残るイメージに仕上げたかった。
「額」 (木製+NEWSPAPER COLLAGE)
イタリア生活の中で接触した新聞。
ある日の新聞から全ての「目」と「すきなコトバ」を切り取りセレクトしコラージュ。
重なるコラージュの結果、偶発的に表面に残る「目」や「コトバ」にはっとする楽しみも。
※伊在住時代カルタペスタという紙のコラージュで様々なものを作って楽しんだことへのオマージュ。
写真参照/「Nasce」(生まれる)というコトバが表面化する偶然
写真参照/コラージュ接写 陶板部分
とにかく「ムリとかアブナイということをしてハラハラ遊んでみたいんだ」。
とにかく「ノゾキたいんだ」。だれにもとめられないで。
これがわたしの純粋な着想でした。
制作に限らず、まいにちを暮らす中でも、
心の奥底にいつもこれがある。
いろんな理由で、すべては実現できないけれど、
フリーチャンスがあたえられたんだもの。
いつもの、あの「沈黙」に、
あえて深い自分だけの「闇」を笑ってみようじゃないか?
薄い磁土の板を乾燥させる。
ようやくまっ平らになった白い磁土の美しい板。
どうしてかな、美しいものを崩したくなる心があばれる…。
【ギャラリー忘我亭とCocciorinoの対話より抜粋】
Cocciorino: 着想と創造のあいだの沈黙。お客様の力って、闇の中でもがいているときこそつくづく感謝するもので…。 ギャラリー忘我亭:着想をそのままカタチにするのは、なかなか大変なこと。 |
通常わたしの仕事はご存知、器やオブジェをつくり、作家作品として販売しています。
クラフトマン的な信念や技巧も尊みつつ。
どの仕事においても、「着想」や「創造」への想いは同じですが、
わたしにはその間に既述の「沈黙」「闇」があります。
自分しか開けられない空間。
その中でもがく苦悩には快感があり…。
闇の中で救われるのが、完成した暁に喜怒哀楽のアクションを
起こしてくれる人(見てくれる・使ってくれる人や動植物)の存在でした。
しかし今回は、その闇に利他を意識しない。
純粋な着想をわがまま放題、ゲラゲラ笑って「闇」をかきまぜるのだ。
写真/鏡の中のおめんちゃんをかぶった自分
一度まっ平らに乾いた板に、色化粧土を盛って引っ掻いたり拭き取ったり。
そしてまた乾かして、色を重ねていく。
近ごろ器でも試みている独自の技法。
色をのせると乾燥板が再度水分を吸収し、再度ぐにゃぐにゃに。
金魚すくいの最中が崩れやすくなるような、あの感じ。
1日1日様子を見ながら進めた作業の中で、純粋な「着想」は倍増し、
窯を焚く日の直前まで毎日着色を試みました。
表現したいコンセプトは先立って決まっていました。
目を見て話すことの大切さ、目を通してみる風景へのオマージュ。
心、目、木々。組み合わせると「想」。
瞳にうつるものを見ることの大切さを。
おめんちゃんは額から外すことができます
かぶる: 額の裏から、お面のようにかぶると、見えるもの。
のぞく: 額の表から、お面の目の中をのぞけば、見えるもの。
#1~#7までのおめんちゃんを写真に撮り、簡易冊子を作成。
この目を通して見えたものはなんですか?
おめんちゃんをかぶったあなたは誰ですか?
おめんちゃんシリーズVol.1は「着想」がわいたら少しずつ作り溜めて遊ぼうと思っています。
ありがとうございました。
新しい「闇」の乗り越え方を知ったいま。
なにかが変わったような気がします。
自分のクラフトマン分野である生業も、少しずつ変わるのではないだろうか。
黙って「沈黙」を抜け出てきたわたしに微笑み返してくれる人たちに、
もっと気づけるクラフトマンになれるのではないだろうか。
いつなんどきも、遊んで笑えば、怒って泣けば、なにかに気づくのよね。
この「着想は眠らない」展には、とても感謝しています。
新しい「沈黙」の乗り越え方だった。
とても純粋で愉快な創造だった。
ファイン!
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