"Whether you believe you can do a thing or not, you are right." (Henry Ford)
あなたが「できる」と思おうと、「できない」と思おうと、どちらも正しい。
(良くも悪くもあなたの考えは常に正しい)
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(写真)アイルランドのオーガニックカフェのレストルームにてすてきなコトバ発見!(フォードの名言)
伊に暮らす中でよく言わた言葉「dipende da te」(あなた次第/it depends you)や、「se vuoi」(あなたがそうしたいなら/if you want to)。 なぜかそのたびドキッとしつつ、ピリリとしたからさを感じていた。
おそらく会話の中で、私自身が「どうかな?」「どうしようかな?」ビーム(本望ではないのだが)を出していたからだろう。本当に迷っている場合、または真剣に迷っていなくても、答えが決まっていても、柔和に会話を進めるための顔だったり感嘆詞だったり。グチグチ迷っているわけじゃない。ほんの瞬間的な曖昧の美徳。そんな文化の民。
「あなた次第!」なんて、究めれば正当な言葉なのに、このような小さな一粒がピリッと効く。「あなたが決めるのだから、なぜ迷うのか?」→「あなた次第よ(強制じゃないの)」という示唆。分かってる、でも軽はずみな答えや、強い「NO」が言いにくいとき、「う~ん、ちょっと待ってね」風なビームを出してしまうのだ。
そんな時、イタリア人だって「Beh!(えっと、ほれ、やれ、それな…的な/well)感嘆詞は使うのだけど、そのあとがカッコいい。「ci penso io」(自分で考えるわ→まかせとけ)みたいな。ただ辛いでなく、甘辛い言葉が言えるのだ。
加えて、同じ遺憾でも、自分に責任がある意の「mi scusi」(私を許して→ごめんなさい)は言わない。言うなら他人に責任ある意にどうしても感じてしまう「mi dispiace」(残念です)。わたしが文化的な癖で前者を言うものだから、「なぜscusareなのだ」と逆に何度も指摘された。
そう! “良くも悪くもあなたの考えは常に正しい” のだから。