スマートフォン利用: 画面最下部「PC版で表示」を推奨
この春で、レイモンド保育園の「タネさん(陶)」たち(ここではノームのこどもという愛称)は3歳になる。
保育園では、子どもたちと、保育士さんが、CCD平井氏(チャイルド・コミュニケーション・デザイナー)とともに「ノームとノームのこども」という名前で数々のものがたりをつくってくださっている。
詳細:こどもプロジェクト
Skypeミーティングで、CCD平井氏が「ノームのこどもが、ツルツルになってきてね」とおっしゃった。そのとたん、感動で、不覚にもSkype画面前だというのに、熱い涙があふれてきた。
ツルツルになるくらいまで触ってくれている証拠。なんとも嬉しい。
追記!
レイモンド保育園から、そのツルツルになったノームの子どもの写真が送られたきた。
その姿は、少し黒光りに近づいているような、子どもたちの出汁が染み込んでいるような、とてもおいしそうな作品に育っていることがわかる。
加えて嬉しかったのは、割れ方の実証。(写真参照)
同じ割れ方を、ミラノの子どもに描いてもらったときに1度見たことがある。
保育の現場でみていて、子どもたちは何十回も落とす。これは予測の限りであり、破損に耐えうる形や実験をした上。土塊であるため、細かく割れることは少ない。割れるならパカンと割れるか、予測の通りとんがった部分が欠ける。欠けた部分については、手を切ったりするので気をつけなければならない。現場でワークショップをするときは、必ずこの「われるもの」「儚いもの」についても、子どもたちに伝えている。
土の温かさが手につたわり、手の温度が土につたわる。
土の水分が手につたわり、手の水分が土につたわる。
ぬくもりの循環。これこそ素材の魅力を感じる瞬間。
「あなたたちの手は"やさしいヤスリ"なんですよ」と、やさしく褒めてあげたい。
ヤスリの語源である「弥磨(いやすり)」とは、ますます、すみずみまで、どこまでも磨くということ。
子どもアート!と躍起になっている時代、子どもの手があるだけで、それは魔法の手なんだと思う。
(写真:こどもたちの親ノームさん/陶 Cocciorino)
←(NEW)「精進。」
→(OLD)「長皿の上のパテ・ド・カンパーニュ」
→(OLD)「バレンタイン考」エレガンス編・スプーキー編
★アーカイブス