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昨日から夜通し焚いた窯を消した。
週一の学び舎の帰り、春めいた渋谷のギャラリーへ。
時折ふらりと出向くギャラリーの一つ。
陶芸展を2つ鑑賞。
五味謙二展 -焼く土、陶芸。-
8/ART GALLERY /TOMIO KOYAMA GALLERY
※作家紹介の文面に「地球のカケラのような作品が生まれました」とあり、わ!と驚いた。なんと私の工房コンセプト(ミラノの師匠の工房名からもらった)の基盤であるワードである。すぐにキラッと目が光る!彼の土の作品はたしかに「地球のカケラ」だ。自分のはあまりに小物すぎて、なんだかちょっぴり不似合いさを急に感じたりして、久しぶりに自分らしくもなく、ちょっと落ち込んだり。しかし、COCCIORINO(コッチョリーノ)という名前の意味こそ、「かけら」なんだ。
そうだこのまま自信をもって進むのだ!と再確信したところ。
HOMEのWhat's Cocciorinoというところを読んでね。
若々しいパワーと、渋い土のうなりが響きあう展だった。
炭化焼成の黒と藁がもたらす青は、品良く、粗野な素材をまじめにさせる。
渋谷の高層にあるギャラリー。いつも作品にノックアウトされた後は、必ず決まった場所に出向いて渋谷を上から見下ろすのが大好き。この景色もあと数年でさようなら。
地球全体を人間がデザインしている。
土というマテリアル、木というマテリアルを借り、水というマテリアルを消費する。
五味謙二さんは言う。「土を焼く」というより、あえて「焼く土」という表現する。
なるほど「焼く土」という方が、優しいようなきがしてきた。同じ土を触る者として、私なりの解釈だが、「土」を目的語とするより、「土」を名詞化して主役にする。土、地球に対する感謝の念が、より一層強まるようなきがしてきた。
(2015.3.4 「五味謙二展」 所感)
五味謙二さんは、パワーのある土の塊をつくる作家として存じていた作家。
昨春は、蓼科の「ギャラリー忘我亭」のオーナー高山氏のご紹介で、茅野市民ギャラリーでご本人にお会いすることもできた。
茅野まで向かったその日は、窯たきで徹夜明けだった。窯の調子が悪く落ち込んでいた私を、同業者として励ましてくれたりしながら、本当に窯や土は生き物だという話をした。
「ふた、モノ。」シリーズの、「ふた」を開けてみせてくれたり、触らせてもらった。とても渋いその感触に、こりゃ大して大きくもない自分の窯の不調に落ち込んでいる場合じゃないわっと、思ったことを覚えている。手の感触と改心。前向きになる要素であった。感謝。
「カタチヅクル」 陶・鉄・画による3人展(2014.3月)
五味謙二(陶)五味千秋(鉄)こよみ丸(画)
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