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2013.9月にイタリアを周った「旅する土鍋」のvol.2が、この初秋ゆっくりと再スタート。
「旅する土鍋」をテーマにした個展(@代々木上原CASEgallery)を行ったのは2014年夏。
⇒2013年 CASE gallery個展の様子(1)
⇒2013年 CASE gallery個展の様子(2)
Vol.2は企画を一捻りさせたくて、正確に言えば今回は「vol.2のための視察」。日本でもご愛顧いただいている「あの大きな大きな土鍋」が各地で足あとを残し、佇む。その土地の根っこを感じるのだ。
時に、その町のマンマや友と、おいしいものを「あの土鍋」で囲みながら。
とりあえず「佇む土鍋」とでも仮タイトルをつけるとしようか。
LOIANO村 (Emilia-Romagna州/BOLOGNA県)
第一回「旅する土鍋」のボローニャ編のコーディネート&レシピイラストを担当してくれたCHIZU(妹的存在)が結婚式を挙げるというので、まだオフレコの頃から渡伊を決めていた。そして結婚のお祝いには「旅する大土鍋をかついでいくよ!」と宣言していた。
今回は土鍋の取材なんかより、CHIZUの結婚パーティの準備を手伝おう!と腕をまくりにまくってボローニャ入りしたので、エミリア・ロマーニャの頬が落ちるような「土鍋料理」は来年までお預けだ。
ゆっくりと根っこを感じ取ってもらうため、大土鍋には、この地に、この村に居残ってもらおう。
次回またこの地に来たとき、そのルーツを思う存分聞かせて(味あわせて)もらおうと思う。
PODERE CALANCO(カントリーハウス)
ボローニャ歴史地区から約30キロの地。
7ヘクタールの森に建つ築200年以上の石の上。
第二次世界大戦中、ドイツ軍の輸送拠点だったとも聞くこの地。
1945年にはアメリカ軍がボローニャを攻略したという。そんな戦渦にあったこの地には、ミリタリーおたくが喜ぶようなお宝が眠っているとかいないとか。かつて、この手の規模の豪邸は専用の教会を持っていたそうで、母屋からむこうの方に見える崩れかけの建物がそれだとか。私の来訪のために急いで改装してくれた部屋は、むかしむかし祭司が寝泊まりしていた部屋。電気を消せば真っ暗で、星空が足もとを照らすほど。鉄格子の窓からは天の川がまる見えだった。朝方にはどこかで獣が鳴き、バサバサッと鳥だかコウモリの羽音が窓から聴こえた。(正面アーチ型の入口左手の部屋)
もう信じられない時代背景と景色がここにはあった。
イタリア人貴族が所有していただろうこの建物は、「先祖代々が継ぎ人には決してゆずらない」という家伝があったそうだが、ある何代目かの息子が攻略されたアメリカ陸軍にとうとう手渡したとか。その家伝はそこで途切れ、その後売りに出されたが、なかなか買い手がなく手つかずのまま残った豪邸というわけだ。
帰り道、PAOLOの友人にクルマで30キロの道のりを送ってもらいながら、ここの地の歴史や戦渦の話などをしみじみ聞いた。
そんな地に「佇む土鍋」。
鏡に映る築200年の家とのショット。
長く深い歴史の中で、友の結婚を祝い、なにを想い佇んでいるのか。ふと、私はどれだけ長く陶芸に関わり、重い、重い「土鍋の旅」を続けてゆけるのだろうか。
佇む土鍋に問いかけるものの彼からの返事はなかった。
とにかく、つづけよう。
旅をつづけよう。
列車でボローニャに到着した私の姿は、大土鍋を2つ担いだ “記録的重量級オンナ“だ。
そこらのバックパッカーより重そうで、まとまりのない格好。駅は改修工事で階段を昇らざるを得ず。背中に大土鍋を含む15キロのバックパック、2つめの大土鍋は1週間の身の回り品と一緒に大きなスーツケースでゴロゴロ30キロ。それと携行品ナップザック。ちぎれるかと思ったね、腕。
ナポリから到着したPAOLOの友人ミンモ夫婦とボローニャ駅で合流して、PAOLOにピックアップしてもらう。「TAMAMI!こんな荷物でどうやってきたんだ」と言われるものの、着いたんだから、来られたんだ、見ての通り。
車に乗り込み、ちぎれそうだった腕はしびれっぱなし。
ボローニャの中心地を通過し、郊外を走り、うねる山道を走るが、思いのほか遠い道のりだ。車中で、蓼科のギャラリーからの「おめんちゃん展はじまりました」のメールを最後に、山の中はWiFi接続不能になった。
30キロの道のりをようやく走り抜け到着。
先ずはナポリターノの友人らと、おいしいサラミ・ハム・チーズにワインで乾杯し、シチリアやサルディニアのヴァカンスの話などを楽しく聴く。バカンスが1日もなかった私は挟める口もない。黙々とワインで喉の渇きを癒す。
エネルギー万全となったところで、第一の目的であるCHIZUの結婚パーティの準備だ!
麻の布を切って各テーブルに貼ったり、当日使う器やコップや 盛りつけ料理の段取りなど、CHIZU&PAOLOの友人BEBAと、彼女のフランス人の友人と話し合いながら、笑いながら、テーブルセッティング や器の準備をした
石の家のお庭はきりなく広い。
森のどこまでが敷地なのか分からない。
そんなところに200人だか250人だか、
300人だか集まってもなんともない。
車の駐車スペースも、草を刈ればどこまでも。
イタリア人の友は言う。
この谷の底にはきっと川が流れていて、
その川まで敷地だろうよ!と。
朝から厨房(土間)では、クレシェンティーナ(ボローニャの揚げパン)を生地から練って成形して揚げつづけているオバチャンとオネエサンと、ハムをシュッシュシュとカットするオジチャン。私とベバはちょっと恐いオバチャンの指示に「Si, Subito!(はいすぐ参るぜよ!)」と返事しながらよく動いたな。
つまりはクレシェンティーナで結婚パーティね!それにふんだんにあびるほどあるワインに、ヴェジタブルマーケットのようにふんだんに飾られた果物と野菜など。それと、皆がもちよったトルタの数々!
ああ、残念なのが、目が回るほど動いていたので、クレシェンティーナの写真もなければ一口かじったかどうかくらいだ。次回ふんだんに食べるぞー!
CHIZUおめでとう!の心からの気持ちがあふれていた日。
クレシェンティーナよりもっと悔やまれるのが、CHIZUとの2ショットすらないこと。
でもいいの、もっと大切な思い出ができたから。
晩夏のボローニャの田舎は、大土鍋が大豆の粒に見えるほど広大で、真っ赤に燃える夕陽も両手に抱えられないほど大きく、何よりのご褒美だった。
前夜は、CHIZU妹と朝の3時、いや4時?まで2人でお礼の品の準備をして、5時に眠った。こんな晩は二度とないのだから私は光栄よ!何度も「ごめんねおそくまで」と謝る妹に言った。
彼女と出会ったのは、彼女が18歳のとき。イタリアにご両親と旅行に来て、ミラノの工房でロクロをまわしている私に声をかけてくれたのがきっかけ。こんな日が来るなんて!
そして、その傍らで、大土鍋はゆっくりどっしり佇んでいた。おめでとうCHIZU!
「佇む土鍋」 -ようこそカントリーハウスへ!-
BENVENUTI PODERE CALANCO 6/09/2015 CHIZU&PAOLO
⇒「佇む土鍋」-トスカーナ編(ヴィンチ村)-
⇒「佇む土鍋」-トスカーナ(ヴ―リア村)-
◆「佇む土鍋」は、前半は田舎編として「トスカーナ1~3」、後半は都会編「ミラノ」に続きます。
◆アーカイブス