TOSCANA州/FIRENZE県/VINCI村
ボローニャのロイアーノ村から、またトコトコ電車を乗り継ぎ、よっこらしょでヴィンチ村へ。
2013年の夏、今年の3月、そして半年後の今回しつこい来訪。田舎のないわたしにとってトスカーナは「ただいま!」的な気分になれる田舎なのだ。半年前の春のヴィンチ村はまた顔がちがった。一昨年の同じ9月とも顔が違う。自然というものは無常であり、美しくも、また厳しくもあり、正直に顔色を変えている。今年は猛暑だったためブドウの収穫が早いのと、誰もが口をそろえて「今年のブドウは期待できるぞぉ」と言っている。
そんなわけで、友人夫婦(ROBERTO&MAKI)は、ブドウの収穫や昨年酒の瓶詰作業やら一年でもっとも多忙な日々。そこにわたしの来訪が重なり、大変もうしわけないような、そんな詫びの言葉から始まった。それなのに彼らは「わたしたちも疲れをおいしいビールやワインで癒したいの!」と最高の笑顔で迎えてくれた。こういうところ本当に見習いたいと思う瞬間だ。(イタリアどこに行ってもこれを想う…どんなに忙しかろうと笑顔で迎えてくれる)
肉体労働を終えた夕刻、彼らは「今夜はビステッカ・フィオレンティーナ(炭火焼)だ!」と最高のおもてなしを。まずは冷えたビールをぐびぐび飲んでから、彼らが働く農園の白ワインにヴィンチの夕陽をたっぷり入れ、ゆっくりと喉を鳴らした。
ここの夕陽は、泣きたくなるほどいつも美しい。
この美しさだけは、無常である大自然が唯一安定した顔を見せてくれる瞬間。
風はブドウの香り。オリーブの葉はカサカサとリズムを取りながら。
ROBERTOとMAKIは、朝から葡萄の収穫に出かけた。
わたしと彼らの息子NALUはパニーノをつくっていつものコースで遠足に出ることに。イタリアではあまり見かけないタマゴサンドをつくろう!卵を茹でて、庭からハーブ(パセリやチコリ)を摘んできてタマゴ人形をつくりたねさんと並べた。「かわいいかわいい!」とまだ喜んでくれる小学生。
彼にとっては日常の散歩コース。わたしも2回目だけど、ちっちゃくてもこの地で生きる彼がいるから安心だ。頼りにするよ!とタマゴサンドとブドウをちょうだいするためのハサミと水をもって出かけた。
途中、おいしいブドウ畑でそれぞれ大きな一房を畑からちょうだいして、それをおやつにして目指すはヴィンチ村の中心へ。前回は2時間半くらいのコースを選んだが、今回は1時間で村に出るコース。ところどころで植物を観察したり、冒険ゴッコみたいにしたり、橋の上から車を見たり、遊んでいくから1時間もうちょっとかかるかな。途中、朽ちて崩れるんじゃないかというような無人の旧農家があって、必ずそこを通らなくてはならない。通過する勇気がいつも試されるポイント。よく見るとブドウを絞る場所があったり。ボローニャで築200年の真っ暗な石のお部屋で眠った翌日だったこともあり「全く怖くないよ今回は!」とNALUに威張ってみせた。NALUも「ほんとだ今日は怖くない」と負けじと。でも帰ってからお母さんにそれを自慢したら「ガラスの破片がいっぱいで危ないし、いつ屋根が崩れるかわからないから危ないです!」と怒られた。ごめんねNALU。でもキミは勇敢な男の子だ!
最終日はMAKIが働く『Podere Fornace
prima』(BANDINELLI ALESSANDROさんの農園)へ。
MAKI(ボローニャのCHIZUにつづきこれまた妹的存在)は、ビオの知識を持つ講師らにトスカーナのブドウとオリーブの一般的栽培を学び、現在バイオダイナミック農法を行う農園で剪定から収穫、ボトル詰めなどの仕事をしている。ブドウの枝ぶりや実のつきかたは剪定で決まるとも。その重要なポイントを任されている唯一の日本人なのだ。
日本から農園視察にきているGRANDSTAR(※)の男性お二人をお連れする仕事のお供。お供というより、興味津々のわたしの方が真剣まるだしで、農法の説明や広大な農地についての話を食い入るように聴いた。
下写真:Una vigna legata con il salice (柳の枝で結んだブドウの木)
写真左:今年3月末のヴィンチ訪問にて。ビニールやワイヤーを使わず乾燥させた柳の枝を使用。
写真右:今回9月訪問にて。これがその柳の木。地場に基づいた天然素材を使っている。
「バイオダイナミック農法(自然農法/生体力学的農法)」と
は、ざっくり言えば、月の満ち欠けや天体の動きで作業を行う『農業暦』を使用した農法であり、ブドウの栽培もこれに然り。
また醸造においては、極々少量の酸化防止剤(BIO指定量の半分以下だとか!)を加える以外、他添加物や調合剤は使わない。その代わり、貯蔵タンクの中で果皮など循環させる作業(ルモンタージュ)も人間の手によって入念に行わるのだそう。自信ある作業をする職人は全てをクリアに話し、貯蔵室をもオープンに見せてくれるのはその証。
わたしなりの解釈では、「ビオロジック(有機農法)」に、さらに“生きる力”を加えたのが「バイオダイナミック(自然農法/ 生体力学農法)」とでも言おうか。つまりは農薬を使わず、天然素材・人間の手を使用する有機農法に加え、ルドルフ・シュタイナーが説いたテオゾフィ―(神智学)に基づいたスピリチャルな農法なのだ。(※「ビオ(自然派)」には「リュット・レゾネ(減農法)」もあるが割愛する)
スピリチャルといっても、前述した「テオゾフィ―(神智学)」という言葉でイメージを縛るのは避けたい。難しく捉えたり、現代にあふれている「スピリチュアリズム」とか「サイキック」的なものとしての納得でなく、わたしは“生きる力=自然の秩序にもっとも則った農法”であると解釈した。
胡散臭いという人もいるだろう。わたしも信頼のおけるMAKIの仕事っぷりや、農園主のBANDINELLIさんの真剣な顔を見るまでは…。彼らの畑に対する滋味深い話には“生きる力”を感じたし、その力はなんとも厳粛で、素朴さや素直さを導くものだったようで、あらなぜ?不覚にも涙があふれたほど。
そして、BANDINELLIさんの自然や土に対するやさしい声に「佇む土鍋の存在をだぶらせた。
土に佇む理由。
土に還る。
根っこを感じる土に。
そして、土にくっきりついているのが人間の足あとであることに感動した。できるだけ農耕機も入れたくないと理由でブドウの一列ごとだけに農耕機の跡があるだけ。あとは人間の足あとのみ。
農園での説明の後は、MAKIの息子の友だち家族が経営するアグリツーリズモのレストランへ。貸切でワインの試飲会を兼ねて、ビオ食材でつくられたトスカーナの伝統料理をいただいた。
どれも絶品!永遠に飲んでいられそう!と思ったほど。
それくらい不思議とワインも食事も体に負担がかからないのだ。そしてバイオダイナミック農法でつくられたブドウ酒は、どれもうっとりするほど香りが良い。さきほど佇んだ畑の香りがする。味のちがいが私にもはっきりと分かるほどおいしかった。
いくつかをミラノと日本の目利きの知人・友人に感想を聞くためお土産に数本持ち帰る。軽量でつくられていないガラスのボトルはかなり重い。帰路わたしの肩に食い込んで大きな青あざをつくったことは否めない。
日本からのお客様との宴もたけなわの頃、ROBERTOとNALUがわたしたちを迎えに来てくれた。NALUと同級生の男の子は姿が見えなくなるほど広大な土地で走り回っている。「NALU帰るよ~!」と叫んでも見当たらない。
レストランでおいしい料理をつくってくれたマンマ(写真に小さく写っている)が「お兄ちゃんは思春期でまったく話もろくにしてくれないのよ!」という。そのお兄ちゃんが弟たちを探すために颯爽と部屋から降りてきて、寡黙に自転車を猛スピードで走らせて探しに行ってくれた。心やさしい青年だ。
全世界の思春期の少年少女よ、戦渦で自我すらなかなか出せない少年少女たちよ、ほんとうにほんとうに素直に生きておくれ。バイオダイナミック農法ではないけれど、生きる力をぜひともつけておくれ。
ヴィンチ村「バイオダイナミック農法」のワインに関するお問い合わせ:Cocciorino WEB-SITE へ。ヴィンチ在住の友人MAKIをご紹介いたします。
現在下記の農園でブドウの剪定から収穫、ボトル詰めなどの仕事をしています。ブドウの枝ぶりや実のつきかたは剪定で決まるとも言えます。その重要なポイントを任されている唯一の日本人です。
※見学に行った農園『Podere Fornace prima』(農主・農園ガイド
Bandinelli Alessandro)
※試飲ワイン『Podere Fornace prima』&『Poggiosecco』
※試飲会 『アグリツーリズモBARACCA』
※コーディネート 小幡真紀
※参照記事 "Biodinamici Toscani" 4 aziende agricole
⇒「佇む土鍋
-ボローニャ編-
⇒「佇む土鍋」-トスカーナ編(ヴァーリア村)-
◆「佇む土鍋」は、前半は田舎編として「トスカーナ1~3」、後半は都会編「ミラノ」に続きます。
◆アーカイブス