彼女との出会いは、90年代初頭フィレンツェの語学学校での出会い。そこからは音信不通。二度と会えるなんて考えてもいなかった。近年のインターネット時代、彼女とのアプローチが開かれたとき、
巡りあわせとはこういうものかと素直に思いました。
フィレンツェSMN駅は、まさしくターミナル駅(起終点)。この駅を基点に、ヴィンチ村はピサ方面(ティレニア海方面)、ヴァーリア村はボローニャ方面(アペニン山脈方面)に約20キロ列車に乗ったところにある村。
トスカーナ内の移動ですが、一度フィレンツェ駅に行き、別の方向の列車に乗り換えなければなりません。何番線から発着するか分からない列車を見逃すまいと掲示板を凝視。この風景は何十年も変わりません。今や東京の列車の乗換は、別の線が乗り入れていたり、かなりスマートで便利ですが、イタリアは、ローマもミラノもボローニャもフィレンツェも、まさに乗り換えは文字通りターミナル駅(起終点)で。旅情とともに不便も感じますが、大好きな場所。ドラマもいっぱい。相変わらず土鍋を抱え大荷物のわたしは、列車の乗り降りステップが大敵!
そんなターミナルから、気分新たに、フィレンツェの同級生、奥村千穂さんを訪ねることに。
前半は、すべて田舎暮らしをする友を訪ねる旅。
ところ変われば豊かな地形もそれぞれ異なるわけで、ひとつとも似ている場所はありません。稚拙な表現ですが、ボローニャ(ロイアーノ村)の田舎暮らしは「森」、ヴィンチ村の田舎暮らしは「畑」、そしてここヴァーリア村の暮らしは「山」とでもいえましょうか。
フィレンツェから20キロのとある駅で降り、そこから千穂さんは山道(いや登山道という方が正しいような)、そこをFIATTO-Pandaでガタコト登る。積もる話がいっぱいで、二人はおしゃべりに夢中になりましたが、起震車のように揺れる車は登山道を転がることもなく、つまりは彼女の運転がうまい!どうしても話を遮ってでも称賛したくなってきて『ちょっといい?千穂さんカッコいいわ!』と言ったくらい。彼女は『そう?毎日なので当たり前のことでね!』と。20年前から、こんな風にちょっぴりクールでクレバーで大人びていた彼女。イタリア語の発音も当時から冴えていたし、颯爽としていながら、チコチコかわいらしく動く女性で。それは今も変わっていませんでした。(チホなので現在ご主人にチコと呼ばれているみたい)
ご主人アントネッロは、木工職人(「Fantalegname(ファンタレニャーメ)」主催)であり、料理教室も行う料理人。⇒アントネッロの料理教室に参加した時の様子!
それどころか、家づくりから生活まわりのDIY何でもしちゃう。
写真一枚目の石窯(※詳細ブログ)もすべてアントネッロが。
土地に転がる重い石を運び積み重ねた傑作。
山の傾斜に建てられた家は、これまた古く築100年ではきかないとか。
そして彼らの山暮らしは、水路、井戸、畑から、近年ではネット環境まで、都会人のわたしたちには信じられないくらい手さぐりでやってきているのです。何時間でもまばたきせずに話を聴いていられそうなくらい。私がここで触りを書いてもナンセンス。彼女の老舗ブログや、彼女の著書のご一読を!!!NHKがテレビ番組にしたくなるのも深く納得!
「フィレンツェ田舎生活便り2」
「フィレンツェ田舎生活便り1」
彼女は通訳の他、滞在型アパートやアグリツーリズモを紹介している。
「La casa
mia(ラ・カーサ・ミア)」
偶然にもアントネッロと千穂さんの結婚記念日にお邪魔してしまったので、またもや「なんだか申し訳ないわ」という言葉から。「いえいえ大したことはしないのよ、ご一緒に!」とまたもや感心するホストトーク。どこまでとことんイベントに図々しくも便乗する旅人なのでしょう。
もちろんキッチンもアントネッロ手づくりで、築100年の家であっても使い勝手が抜群そう。ここまで至ったのは、彼らの「強い精神」と揺らがぬ「大きな夢」。今回の訪問でも、人と会話をすることで、なんど涙腺がゆるんだことだか。
「強い精神」とは。
日本人こそ伝統的に強い精神力を持つ民族だと思いますが、近年の競争社会でマヒしてしまったのか、利己的だったり、人を想う時は偽善者のような言い方や態度を取る人が多いなと感じ、時に悲しくなったり。そんな肩肘張った強い精神なんて、ぶつかったらイラッとくるのだろうし、そんなの夢には結びつかない。名誉だけに結びついてる気がします。
彼らと、暮らしの話、アートで生きるという姿勢、仕事における経験などたくさんのおしゃべりをする中で、夢があるからこその強い精神を私自身も見つめ直しました。そして、このあと訪ねた有機栽培のリンゴ農園でも、ヴィンチのブドウ農園につづき、本物の「強い精神」を感じることになるのです。
有機農法でリンゴを育てるセルジョさんのところに千穂さんが連れて行ってくれました。千穂さんはGASという販売システムにおいて、彼のリンゴ係りを担っている ⇒千穂さんのブログ(2015年10月14日リンゴの季節です)
GAS(Gruppo di acquisto
solidale)とは、環境負荷削減、有機農法の尊重、それらを考慮した食品や生活品を共同購入するシステム。調べると1994年フィデンツァ(パルマ)発祥らしい。流通業者が介入しないため、そこを千穂さんのような方々がお手伝いして、マージンの削減、信頼や鮮度を向上させるというメリットあるそうです。地産地消のため輸送コストやCO2削減など環境保全にもつながる。一方の小規模生産者さんも、生産を支えてもらえるというメリットがある。中間流通業者がいないということは、生産者の顔がダイレクトに見えること。
まだ少し汗ばむような太陽のもと、ちょっと控えめに「農園を歩いてみよう」と言うセルジョさんの後を歩き始めました。その後を牧羊犬もついてくる。「どんなリンゴができているかなぁ、今年はちょっと不安で見てないんだよ」というセルジョさん。それだけ自然に任せた農法であることが分かるし、名誉だけを追いかける肩肘張った態度でないこともすぐに読み取れる。
歩けど歩けど続くリンゴの木。小さな個人農園であるのにその規模は広大。それを維持している苦労も想像できます。熟れた実を見つけると「ほら、食べてごらん」というその目、これがヴィンチのブドウ畑のおじさんと全く同じ目。ここに『強い精神』を垣間見る。おお!甘い。でもしつこい甘さでない。昔なつかしい甘さなのです。
気候や土地開発などに大きく左右される農業。昨年は大豊作だったそうで、その影響で今年は収穫量がかなり少ないとか。大豊作だった昨年のリンゴを乾燥させたものを譲っていただき、千穂さんが買ったリンゴジュースも飲ませていただきました。芯の強い甘さ。後に残らない甘さ。バナキュラーな甘さとは、こういうものだと舌と心が感じたのでした。
リンゴ農園の帰りに、待望のアントネッロの工房Fantalegname(ファンタレニャーメ)に寄りました。充分すぎるほど大きなスペース。アカシアの木、オリーブの木が角に積まれており、工具もドンと置かれています。アントネッロは、自分の暮らしの範囲で育った樹しか使わないという。自分の視える範囲での素材を使った作品を発信する。その土地の香りを受け取れるスペシャルなコンセプト。
苦戦した新作の話、これから考えているデザイン、千穂さんが「こんなの欲しいな」というと実現してくれる話など、もっともっとお邪魔して見ていたい限りだったが、旅には終着点もつきものです。
トスカーナからミラノに戻ったら、土鍋作品をお披露目するべくイベントや展示会が控えているので、ディスプレイのために、ぜひともアントネッロの木のおしゃもじやスプーンが欲しいとお願いしました。土鍋を待っていてくれたようにフィットするフォルムとサイズ。やさしいデザイン。ここにもあった肩肘張っていないもの…。目の前でFantalegnameの焼印を入れてもらいました。乾燥したトスカーナの空気と木粉の香り。そこに混ざる焦げた木の匂い。学生時代、陶芸の工房の前にあった木工工房から漂っていたあの匂い。思い出がよみがえり切なくなって、加えてお別れも近づき、その香りは切なさを倍増させたのでした。
(写真:土鍋に佇むアントネッロ作のおしゃもじやスプーン)
※翌週ミラノでのイベントorサロン展示の様子
千穂さんとの再会は、またもや大切なものを気づかせてくれる場所となりました。
出会いには全て意味があり、そのときは何も起爆しないものもある。だからこそすべて大切に。何年も何十年もたって起爆するべきご縁は、想いと共にきっと誰かが操作してくれるのかもしれない。何事も焦ってはいけないと思いました。時間が何かを判断してくれるのかもしれないし、もしくは、こんな遠くに住んでいても、引き合うべく人とは再会できるのかもしれません。
工房でアントネッロが見せてくれたある木材の断面が脳裏に焼き付いています。
改めて年輪の美しさを想う。この年輪は、この土地の気候や環境に左右された証。共に生きた人と共有したもの。アントネッロがこの土地の樹しか使わないという理由が少し分かるような気がしました。
年輪に同じ円弧はない。
これは樹の人生。
太くも細くも人生。
⇒「佇む土鍋
-ボローニャ編-
⇒「佇む土鍋」-トスカーナ編(ヴィンチ村)-
◆「佇む土鍋」は、前半は田舎編として「ボローニャ」「トスカーナ1~3」、後半は都会編「ミラノ」に続きます。
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