3回目の月、満を持さず大潮に旅立ちました。
月の力をこれほど感じた3か月はありませんでした。
あれからさらに満ち満ちた3回目の今夜。
太陽と月にはさまれる地球。
「ぼくらかけら」は心が安らぎ
とても深い気分になれました。
ありがとう。
Cocciorino(ちきゅうのかけら)
「最期のおくりもの」
満ちる月のころ、父の年輪に哀感の深い傷を刻むときがきました。
故人からのお世話になった方々への贈り物は、トスカーナの木工作家アントネッロさんの作品にしようと家族で決めました。樹の年輪に人の年輪を重ねあわせると、満月のように心が満ち足りたのでした。
コップと木のお皿をつくってもらいました。
Cocciorinoの磁土のうつわを置くと、コツンとやさしい音。故人が「さまよいながら宇宙旅行にいくのだよ」と話してくれた声に似ていました。宇宙のどこかにもバラや木が生えているといいな。
Fantalegname #木のカップとお皿
Cocciorino #半磁土の器
「年輪」
昨秋フィレンツェの田舎に住む友人千穂さんを訪ねました。25年くらい前の学友です。縁あって再会が叶い、ご家族が住む山の家にお邪魔しました。「旅する土鍋」もつれて。
ご主人アントネッロさんの木工工房に連れて行っていただき、木粉の香りがプンプンする工房内で、土鍋に合うお玉やスプーンをセレクトさせてもらいました。工房の角に積まれた木材の断面を見せながらアントネッロさんが年輪の話をしてくれましたが、このとき「その木、生きてるな」と、血潮のような温かみを感じました。父は「人」という人生をいちど終えましたが、どこかでこの木のように生きているのでしょう。
アントネッロさんのつくる作品は、ひとつと同じものはありません。なぜならば、ひとつと同じ木はないからです。人も同じだなと思いました。誰ひとり同じ歴史を刻む人はいないから。
「再生」
あえてアントネッロさんはオリーブの木を使いません。
トスカーナの気候下では、オリーブの木はそれほど大きな幹に育たないのだそうで、温暖なプーリアでも木工加工に適する大木になるには年数がかかるのだそうです。だから彼はあえて身近に広がるトスカーナの森の雑木を使うのだそうです。
故人からの贈り物に添える手紙の末文には、千穂さんのブログと、その中の一節を紹介しました。感謝しています。
フィレンツェ周辺の森では
15年周期で大量の木が伐採される。
そのことで森は再生し健康な状態で生き続けていく。
正しい方法で木を伐採すること自体は
決して自然破壊ではなく、
森と人が一緒に生きていくための共同作業。
フィレンツェ田舎生活便りブログ
「森と生きる人たち」より
フィレンツェ田舎生活便り2
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