季節ごとに風にのって漂う香りがある。ジャスミンの香りもそのひとつ。新学期、自転車に乗ってご近所の曲がり角にきたら漂った芳香。キョロキョロその源を探せば、建物に見事に蔓がからまり、薄桃色の小花が満開だった。それがジャスミンとの出会い。
このように香りと思い出が重なることを、みなさまご存知「プルースト効果」というが、インターネット時代に失われていくいくつかのことの中にのは「香り」が挙げられよう。フランスの作家のマルセル・プルーストは『失われた時を求めて』の中でマドレーヌと幼少期の家族の思い出を重ねあわせる。実際にマドレーヌが焼けた香りや手に取ったときの香りは、そのときの空気の湿り気ぐあいや、自分の感性次第だったりする。想像が伴う実際の体感とそのアルバム。
夢を三本立てくらいで毎晩みるタイプで、カラー・モノクロ両者当たり前のように投影される。音声も日英伊に切り替わるしオールマイティだ。しかしながら香りだけはない。
インターネットで知ったような感覚になってしまうことは、一概に悪いことだと言いたくはない。小説をむさぼり読み、世界地図をひろげ、世界を飛び回り「性別や年齢も越えた気分になれる」あの感じをネットだと何十倍の速さで得られるのだ。ただね、香だけはいつも留守。童話の中にあるようなマドレーヌのバターの香り、まだ風が冷たいところで嗅ぐ沈丁花の香り、桜は華やかに咲き散るものの微香であり香りの話題に触れることはあまりない。入学式の季節に春の花の香りを嗅ぐだろう。そのなかに、あのときは分からなかったジャスミンの香りが青春の思い出に宿るのかもしれない。
今年は我が家の庭をその香りが飛んでいる。強いくらいのその香りを時に嫌い、時に思い出とする。ぽろぽろ落ちる小さなラッパの花殻が色あせるとき、それはせつなさとともに。桜でもうおなかいっぱいであれば、ジャスミンを愛でないか。
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