空気とは「地表を覆う気体」や「その場の雰囲気」という意味だけに収束しない「身のまわりにある不明瞭な存在」であると展覧会の図録ははじまる。
先日の市原湖畔美術館(ブログ記事)につづき、またまた都心から遠方にきたものだ。今回訪れた川口市立アートギャラリー・アトリアは、路線図をみると通勤圏であることは明瞭。都心のギャラリーと異なり生活感をともなったのびのびさがある。隣接大型スーパーとギャラリーの間には共有広場があり、たくさんの子どもたちが遊ぶ。少子化を肌で感じる今日この頃だが、ここにいたか!と思うくらい空気を吸いまくっている子どもがいた。エネルギーにあふれた印象。
美術館は、決して大きくはないスペースだが、高い天井と白い壁が、それこそ気持ちのよい開放的な空気をはらみ、首からパスをさげた子どもたちが楽しそうにそれぞれの作品のまえで笑う声が聴こえる。ギャラリースタッフのかたがたもやさしく落ち着いた雰囲気で、大きな美術館でよくあるギスギス感なく、これも気持ちのよい空気が流れる大事な要因だろう。 作品説明は、子どもにも分かりやすいよう、あちこちに平仮名がちりばめられている。これも世代を超えるやさしい空気の循環だ。まんまと「空気の正体」を探す気になってきた。
本展「空気の正体」(開催2017.5.14まで)は、大巻伸嗣、奥中章人、本間純の3作家の空気(作品)で構成されているが、ここ私設ブログでは19歳からの友人である本間純氏をご紹介する。
彼の作品は、本拠地である神奈川・東京ではもちろん何十年も鑑賞しているが、我が家の青年が0歳のころから新潟妻有トリエンナーレで毎回鑑賞してきたこともイマとなっては良い思い出だし、数年前に瀬戸内国際芸術祭にご一緒して観賞したのも旅を兼ねた楽しいひとコマ。
近年は、風景に、オブジェや建物、作家自身が溶け込みレイヤー化された奥行ある作品がつづく。そんな風景に静かに佇んでみる。1分、10分と空気の音を聴いていると、不思議と視えないものがみえてくる。その風景のずっとむかしにある歴史、人や動植物の息づかい。あるいは忘れかけたものや失われたもの。そう、空気がみえる。それは30分経ったのか、30年なのか、もしくは50年、100年前をみたのか時のまぼろしだ。浮かび上がる数のぶんだけレイヤーがある。
下の写真は、近年の作品のひとつであるパフォーマンス映像。以前別のギャラリーで鑑賞済みだが、何度みても人を虜にさせるなんともニヒルな作風だ。 菜の花畑で手をふる「春日さん」、緑の竹藪で手をふる「竹内さん」、すすき野原で手をふる「薄野さん」、豪雪平原で手をふる「雪下さん」。風やふぶく音だけが聴こえる中で、手をふり不気味にゆれる。最初はただのノイズだが映像とともにそれもレイヤーとなり重なってゆき、「手をふる」人間の行為になんとも切ない想いを重ねてしまう。
作品の「〇〇さん」たちの表情は風景の記憶に同化しているため目を細めても視えない。「手をふる」時の表情とは、笑顔、泣顔、恐怖や不安それぞれであり記憶を代弁する。同空間には、風景のなかに(写真や石)、コラージュやテクスチャーが加えてある “立ち上がる風景” 作品群も佇んでいた。沈黙のなかで空気は確実に動き、記憶が重なり風がうごめく。
ふと、九州唐津は松浦湾のほど近くの山に夕陽をみに行ったとき教えてもらった日本3大悲恋「松浦佐用姫伝説」(羽衣伝説的な)を思い出した。姫は朝鮮半島に出兵する恋人を見送るために領巾(ひれ:当時の女性の衣装)を振りつづけたという。そして7日7晩と泣き続け石になった。(詳細は文末)
遠つ人松浦佐用比賣夫恋いに領巾振りしより 負へる山の名
(万葉集/山上憶良)
当時、夕陽を眺めたいと登った鏡山で、親切な地元のかたに伝説をうかがった。親切にも裏の山寺に連れていってくださり、姫の死を嘆き狭手彦が朝鮮半島から持ち帰ったといわれる「朝鮮鐘」を住職さんに見せていただいた。落陽の中で住職さんに「鳴らしてごらんなさい」とすすめられ鐘の音が起こす空気の中に姫を重ねた。鏡山を借景とした庭の美しさも思い出した。現代アート作品とは、ひょんなことを思い出し、そこに記憶のレイヤーを重ねるものだ。
寺は恵日寺であったことが判明。機会があれば、夕陽の鏡山から手をふりに再訪したい。
「松浦佐用姫伝説」
古墳時代の後期、朝鮮半島に出陣するため松浦に逗留した豪族 大友狭手彦(おおとものさでひこ)は、そこで長者の娘 佐用姫と恋に落ちる。姫は出兵する狭手彦の船を見送るために鏡山に登り、船が水平線の向こうに消えるまで領巾(ひれ:当時の女性の衣装)を振りつづけた。姫は悲しみのあまり泣きつづけ石(望夫石)になる。その後、鏡山は「領巾振山(ひれふりやま)」と呼ぶようになった。