節目の年を超え、むこう側の景色がゆっくり見えてきた。むこうの方からひゅるるるると風が吹いてくる。アドベンチャー的コースでものすごくワイルドでスリリングだった愉快な道はしっかり後方から続いている。山の頂上から、さらにむこうの道がぼんやりだが見えると嬉しいものだ。成功も失敗もGOもSTOPもなにも看板がないシンプルな道。なんせ、ここまで来るのにたくさんの寄り道と、迷い道を歩いた。また本筋に戻れたのが不思議なくらい。いやいや、そもそも本筋などないのだろう。
(本題からそれるが庭のイスは35年前に買ったイスとテーブル)
うちで仕事をしていると、後悔しまくるくらいサボることもあるし、反省するくらい根をつめることもある。孤独は人との比較がなく、のんびりしすぎても気づかなかったり、逆に焦り慌てて取り乱す自分も見えなくなったりする。相変わらず、ちょうどいい塩梅というものがわからない。子育てしながらの10数年は、わからない上に変調リズムを刻む毎日だったし、親が病に伏せば心のリズムを忘却した。
制作の追込みとプレッシャーは、この数年とぎれることなく続いている。ドキドキしっぱなし。カッコよく「動じなくなりました」とか「のんびりやってます」なんて言いたいものだ。己の要領がわるいのか、ビンボーヒマナシな陶芸家であることは変わりがない。
数年前から近くの小川をジョギングしたり散歩しているが、その時間から少し「庭でのんびり読書」に割り当てたいと思うようになった。走ったり歩いたりしながらできないのが読書。そのうちに「のんびりやってます」と言える人になれるのだろうか。いや、高くは望まない。せめて、どんなに心が焦り時間がなくとも、怒りや悔いに翻弄されないよう拡声器は捨て、庭で本と風をよもう。