庭の桑の実が鈴なり。
毎朝、まず地面に落ちている実を楽しみに拾う。実の落ちかたで宵の風が強かったのか分かるし、アリに先を越されて蝕まれたもの、落下の衝撃に潰れかけたもの、拾いながらそれぞれの物語を想像するのもおもしろい。そのあと枝についたたくさんの実から、どどめ色の実をピック。
この桑の木は、10年ほど前「蚕学習」のために近所の小川で引っこ抜いてきて庭に植えたもの。お蚕さまは、新鮮な葉でないと食が進まない、大食漢である、そして何より農薬のついた葉を食べると命を落とす。そんな理由で桑を植えちゃえ!という運びに。最初は雑草くらいの小さな一枝だったのに、それが3年くらいで葉が繁々となり5年ほどで樹木に育ち実をつけるようになった。
5月連休前までは葉っぱの赤ちゃんを宿っている程度なのに、連休が終わるころパッとすべての葉が開き、そのあとは空に向かってぐんぐん伸びる。3メートル以上はあるだろうか。ものすごい生命力を感じるこの時が大好きだ。
このあと、思い切り光合成が行えるくらい陽ざしが降り注ぐころ白いブラシのような花が咲く。桑には「雌雄同株」と「雌雄異株」があるらしいが、どうやら我が家の桑は前者。花弁がないその花は、もはや桑の実が想像できるような形状。今年は桑の実が大豊作で、花がついた分だけ実がなっている状態だ。
せっせと実を収穫するわたしも「ひとりじめ」はしない。空を仰ぐほど高いところにつく実もちゃんとある。どちらかといえば手元になっている実より、大きくみずみずしく、黒々と甘いどどめ色をしていて、上からわたしにむかって「OKだいじょうぶ」と余裕な顔で笑っている。鳥がとまり「えへへ」と鳴く。糞でも落とされたら大変なのであきらめる。目線の前には枝で休む大きなアリ、葉っぱと同化するカメムシ、ぶーんと実にとまるアシナガ蜂、この一本の木にたくさんの生命が集まってくるのだ。
どんなに小さな自然でも、自然を優先し、できる範囲のことをしていれば生態系をこわさず仲良く生きていけるのかもしれないと実感するひととき。朝夕と実を収穫しながら味見をすると、ひとつぶで300m走れるくらい甘酸っぱい生命力を感じるのだ。
次回は、桑の実ジャムづくりのこと、食べかたアレンジをつづる予定。