帆走してきた電気窯が断線しました。他の線もモロモロで、耐火煉瓦もポロポロであると知りました。ここのところ熱を入れ時間を費やしてきたシゴトは、窯のよみがえりのためだったのかぁと、肩を落とすのか…。いやいや達成温度まで上昇し、最後まで正常運転したのは不思議なくらいだと聞いて、誰に感謝したらよいのか、マイコン上の「火の神様」(ただのお米・塩・酒をぐいのみに入れたもの)に手を合わせてしまったり。空の上に住む父が守ってくれたかなと、すがった藁に頬ずりしたり。
信楽の窯製造元さんの丁寧な修理っぷり。的を得ないわたしの質問にも的確に答えてくれる職人魂もすばらしかった。数ヶ月分の糧をはたいたなんてボヤいている場合ではなく、それ以上に大切なことを知り、同時に窯に対する切なさという感情も生まれました。
大学陶芸道から30年あまり。体力的にあと10年で工房たたんで別のシゴトしながら旅するかな(どんなシゴトよ?)と考えていましたが、追いかけてきたミラノの師匠は持病を乗り越え御年71歳、工房40周年。改心して、それではあと20年!上方修正したのに、2000年に買った窯の寿命はあと10年くらいと診断され。ずっと次男だと思っていた窯は、なんとおじいさんだった。
あと20年、窯をどうするかな。今後の大きな課題となりました。現代の東京では、家系で窯を継ぐというパターンはほぼなくなったので、窯の寿命と同時に工房をたたむかたが多いと聞きました。
未来って、職人って、どう変わっていくのだろう。
そのあと、友人の103歳になられるご家族にお会いする機会あり、もうわたしはなにを言っているのだろうか、どんな次元でものをしゃべっているのだろうかと電撃が走り反省するとともに、ニンゲンって本当にすごいなと思いました。かくしゃくたるお姿と明晰な頭脳に、どんなに素敵な器や美術品を見せていただいても、すばらしいニンゲンにやられてしまい久しぶりに噛んでも飲みこめない感動という栄養をずっとなめながら溶かしています。