旧年中はお世話になりました。
イタリア弟子修行から帰国後、みなさまに助けられ、応援いただき、進んできました。
昨年は、独立工房を設けて20周年でした。土鍋冊子を一新してポップアップパーティしようなどと、考えていたのですが、暗雲が晴れることなく年を越してしまいました。
ミラノの師匠は(照れながら覚えていないというけれど)、帰国の際「独立工房が10年続いたら報告に来て」と言いました。渡伊の切符にはギュッと目をつむり、倒れそうになっては起き上がりながら、めでたく10年経過。しかし、その時期、思春期の入口に立つ息子あり。ここで息子を置いて渡伊するほど人生急ぐことはないなと、わたしには珍しく冷静さが優先されました。
その後、2013年、晴れて渡伊。師匠と13年ぶりに再会して、工房継続の報告ができました。幼少期から料理と洗濯を教え、親が不在でも生きてゆけるよう育んだ甲斐あり、以来、子どもを置いて、毎年「旅する土鍋」プロジェクトとして数ヶ月イタリアに滞在するルーティーンを続けることができました。
人生の計画なんて、大きな山に登るようなもので、描いた通りに進まない。見えない体調が顕れたり、知らない風が吹いたりする。ひとりの一歩があれば登れるわけではなくて。予期せぬことだらけ。
20年目はふわりと越えていきました。
21年目も、暗雲は晴れません。
しかし「陰翳礼讃」という感性を持つ私たちだからこそ、この明確に見えない道を、美意識に変えてみることができるのではないか。とにかく、つくるのです。
工房といっても、自宅の一室に窯を置く狭小空間です。もっと広い工房を持つことが夢でしたが、そんな現実を考える間もなく20年は過ぎました。だから人生は長いようで短いのです。
狭くたって、個展のための作品を100点、200点と生み出します。制作と料理は似ていて、狭小空間だからこそ、合理的な脳が育まれるようで。どんなキッチンでも料理がつくれる気がします。なにより、自宅の一室に工房があったから、息子の子育てと両立できたのかもしれませんね。
20年はそれぞれです。人は成人となり、まだまだ山を登ります。コッチョリーノはまだ師匠を仰ぎますが、ここからは懸命に登った20年という山を、ゆっくり降りる段になりました。しかし下山とは、目標を降下させるという意味ではありません。登山を趣味としていたので確信しています。
いよいよ柔軟性が試される時期です。
自然だ、愛だ、平和だ、平等だと言うことは簡単だけど、勘違いしていることもたくさんあるなと思います。本当の山と平らの意味を噛み締めて、達成感に満ちる毎日を楽しもうと思います。
来月の個展開催の方法については、日々変化する状況に、柔軟に対応できるようギャラリーと検討を重ねています。こちらのHPブログのほか、下記のSNSでも最新情報を発信していきます。