2月23日(火)、読売新聞朝刊(全国版 家庭面)に、土鍋コッチョリーノ登場いたしました。
先般、個展の開展前日、作品が溢れかえる中でご取材いただきました。深いご理解と、応援の声までいただいたジャーナリストとカメラマン、そして全面的に協力くださったギャラリーEcru+HMに感謝申し上げます。
個展の数週間前、取材の依頼をいただきました。制作に夢中で、メールに目を通せない日々というのは毎度のことですが、今回は特に、感染症防止のための「予約制抽選」や、ご来廊できない方への「オンライン受注」など、新しく計画、告知すべきことがたくさんあり、実は、いつもの2倍の仕事をしていたため、メールの読みこぼしが沢山ありました。そして、内容を理解して受け入れることさえ、どっちらけになっていたという反省があります。
ゆえに、新聞社の名が入ったメールに返信しなかったという無礼をいたしました。
それなのに、ご丁寧にも、ギャラリーにもお問い合わせをくださったのです。記者のスケジュール、カメラマンの手配などもあっただろうに、私から返答したのは搬入2日ほど前でした。反省しっぱなしです。しかも、制作中の取材は邪魔をするだろう、作品が最も揃うタイミングをみはからっていてくださったようで、頭が上がりません。
若いころ、言いたいことがうまく言えず、取材いただいた結果、隠れたい気持ちになったり、作品が違うように伝えられたり、自身の未熟さゆえのトラウマがあり。以来、日本ではことごとく取材をお断りしていました。けれど、上記のような経緯から、反省しながら直感的に、臨もうと思えたのです。(イタリアの地方版とテレビ取材は地元でわいわい祭りのように臨みましたが)
記者、カメラマンのご両者の、なんとも尊敬すべく気持ちのご対応と、インタビューや撮影のスマートさに、逆に学びの時間をいただきました。個展の前日は、本来は、最も疲労に満ち、ナーバスになりがちな日ですが、今までの取材のイメージとは違い、心地よい時間を過ごせました。
取材を上手に沢山受けられている方は、落ち着いた態度で臨まれていますが、私はまだまだ、いや一生ダメでしょう。でも、それでいい。最も大切にしていることは「旅に出るのは作家の分身(作品)であり、作家が表立つのではなく、作品が意思主張して各地で育ってほしい」と切に願っているからです。
今まで地道に歩む中で、長きに渡りコッチョリーノのうつわを手にしてくださった方々へのお礼、近ごろご縁があって巡り合った方々、これからうつわを取る人たちへの挨拶までもが私の仕事です。
さらには、展覧会を企画してくださる関係者各位、私を常に助けてくれるイタリアや世界中に住む方々への恩返しです。マスク姿で作品のセッティングする時節柄、身だしなみを整える時間もありませんでしたが、こっそりと師匠グイド・デ・ザンの作ったピアスをして、イタリア人の友人作家シルビア・ジョルジェッティの首飾りを密かにしていきました。
私の顔は、最も疲労に満ちている日の、最もまっすぐ前を見て、みなさんに感謝した日の顔かもしれません。読売新聞 朝刊全国版の家庭面「スタイルプラス」にて、取材いただいた 読売新聞 崎長敬志氏、カメラマンの奥西義和氏に感謝を。全面協力いただいたギャラリーEcru+HMにハグを。
ギャラリー
開幕前日の様子