まずは、記事のご紹介から。
タイミングよく、東京コッチョリーノ最後の取材をしていただきました。住居をかねた仕事場だったので、これまで頑なに自宅での取材をお断りしてきましたが、これも運命か、よきタイミングで取材のオファーいただき、これまでの「道」について写真と言葉で残していただきました。
下記にご紹介するリンクからどうぞ。
東京の恵比寿・多摩地域にあるリノベーション会社「エントリエ」は、“楽しむリノベーション”
をテーマにしていらっしゃるだけあって、オファーのメールは真摯で静かに熱く、取材そのものは、明るく笑の連続で楽しかったです。実は、編集者でありカメラマンであるHさまがライカで撮る写真作品に惚れ込んでいた上で、取材を快諾。いや、むしろ光栄で「おねがいします」と、頭を下げる。ライターのMさんは、これまた逸材インタビュアーで、路傍の雑草に特化した番組にご出演なさるほどの知識人。
記事、ご一読いただけたら幸いです。
オウンドメディア
LIFE STYLE
MAGAZINE
「土鍋を通して人が集まる場をつくる」
●インタビュー・文 / 村田 あやこ
●編集・撮影 / 細野 由季恵
さて、もう少しお付き合いいただけそうだったら、これからのコッチョリーノの道と森のはなしを。
人生を「道」に喩えて言葉を濁してきたけれど、ああ本当に道ありきなのだよなぁと思うのです。道というと誰かが整備してくれたものばかり想像するけれど、道というものは最初からない。常識なんだろうけれど、改めてそう思った瞬間から、森のコッチョリーノは始まりまりました。
山道だって、けもの道だって、先人や動物が歩いてくれたんだし、道だと思っているものは雨や雪解けの通り道だったりする。こんどは、わたしたちが道をつくって森や自然を守りたい。地域を守るお手伝いもしたい。
どんなふうに曲がって、どこで細くなって、ぬかるんでいるか、真っ暗か、どういう景色が見えるか、もしかして断崖絶壁であるかもしれないし、どこかで行き止まりになるかもしれない。歩いたことのない道の先は誰にもわかりません。
人生に測量がなければ地図もない。計画はあるけれど、それは事実という地図ではないから、努力で道が開けることと、そうでないことがある。宿命をもって生まれ、天命に向かって歩く道のりが運命。そんな解釈であっているかな。どこかで止まっても、それはわたしの「道」であり、ちょっと大きくいえば「運命」で、最後は、そこでどう笑っているかなのかな。
これからダンボールの森に囲まれながら仮住まい。一度すっからかんになったから、度胸はついたし、心の底からなにかを手放すことができました。今までは、口で言っておきながら、あれは本心でなかったのだろうな。
登山中、道迷いしそうになったとき、どこからか別のパーティがピーッと笛を鳴らしてくれたことをいつも思い出します。
体力も知力も強い友人が後押ししてくれました。我々は無名であるし、協力者がたくさんいるわけでないけれど、これまで寄り添って励ましてくれた友、これから一緒に道をつくろうと言ってくれている友に、そこに人がいることに、今は心底感謝することしかできません。
コッチョリーノは、2000年夏に窯を入れた東京の工房を去り、2022年夏より森につづく道をつくることからはじめます。まずは小さな小さな工房しかつくれないと思いますが、長年かけて進もうと思います。22年の生き跡と仕事場の残骸を片付けるのは想像を超えるものであるけれど、次こそ次元を超えた試練がくるぞ!と待ち望んでいます。前出の記事中にあるように、先日70代のミラノの師匠が新しく窯を買い替えました。我らの年輪はたいそう多重で、もやは幹は太いぞ、かかってこい!
天空から応援してくれている友、心に元気のない友、ご病床にいる友も、みなさまどうぞお元気で。コッチョリーノ作品を待ってくださり、折々のメッセージをくださるお客様も、どうぞお元気で。