「ちきゅうのかけら」をいただくのだから、
「たべる」を 「くらす」を 「あそぶ」も 大切に。
[COCCIORINO] ; 陶器+INO(小さい)=地球のかけら
ミラノの師匠GUIDO DE
ZANに、帰国の際に工房名「COCCIO」(コッチョ)という名前をいただきました。帰国後10年間は「COCCIO Ⅱ」として活動してきましたが、2010年10周年を迎え「COCCIORINO」(コッチョリーノ)に改名。
初心忘れべからず心あらたに活動しています。
「ちきゅうのかけら」のおはなし
1.ちきゅうをいただく
大昔から人は土をかためて器をつくったり、装飾具をつくったりしてきました。大昔から生活と一緒に歩んだ「ちきゅうのかけら」。現代も生活の中で「かけら」は生きているのです。
2.わたしの仕事です
幼少期から陶芸家の道を選ぶまでの記憶をすこし…。
そのわくわくに最初にふれたのは?
まずは幼少時代の砂場です。葉っぱのお皿にならべたあの土団子がはじまりです。つくって並べて、でも次の日に行ってみると跡形もない。砂場に住むイキモノのエサになっているのかと思いました。
“土は還る”そんなことを、なんとなく考えていたのはその頃です。
そのわくわくを仕事にしようと思ったのは?
もうひとつ上のわくわくに出会ったのは、中学校の修学旅行先(福島県会津若松)でした。
会津の本郷焼の工房を訪ねた時です。陶芸職人の仕事を見学しました。
質問はありませんか?と問われ、高なる心臓をおさえながら 「土で形をつくって焼いて、それを売るというのはお仕事ですか?」と聞きました。「はいそうです、わたしの仕事です」と、職人さんは自慢気な顔で答えてくれました。そのとき、それが「陶芸家」という仕事であると知りました。
3. わくわくするチカラと言葉
いまでも続けている理由は?
仕事になると、遊びとちがって緊張感の毎日です。肉体的にも精神的にもキツイ仕事ですが、オトナになってもテストや発表会のようなどきどき感とわくわく感があるから病みつきになります。おわりのない発露を探り、おわりのない仕事をします。直接的に世の中を変えられるような仕事ではありませんが、「働き」は小さくとも、大事な「人」を「動」かせる「力」があると信じています。
あるとき、こどもたちに「ドロドロやっているのっておしごと?」と聞かれました。あの時のわたしの質問と同じでした。「はいそうです、わたしの仕事です」と、自慢気に答えました。そうです、あのとき職人さんが私に答えた言葉です。